エカテリーナ2世 (1729~1796)
ドイツの田舎から、ピョートル3世に16歳で嫁した女の子は数々の波乱を乗り越えながら、帝政ロシアの女帝として君臨、芸術を愛し、ロシアの繁栄を導いて国民から親しまれた

1762年即位
啓蒙思想を貫き、教育、医療施設の建設、地方改革など
ロシアの近代化をめざし、ロシア人でありたいと努力した
11月1日は紅茶の日・11月は紅茶月
海難に遭ってロシアに漂着した日本人、伊勢の国の船主、大黒屋光太夫(1751~1828)は、ロシアに約10年滞在 帰国の許可を得るまで、辛苦の生活の中で、ロシアの上流階級に普及しつつあった茶会に招かれる幸運に恵れた
1791年11月には女帝エカテリーナ2世に謁見、茶会に招かれたと考えられている。そこから大黒屋光太夫が日本人として初めて外国での正式な茶会で紅茶を飲んだ人として、この日が定められた。

胸にエカテリーナ2世よりの金メダルを下げた 大黒屋光太夫の銅像(伊勢)
初めて紅茶を飲んだ日本人
1782年12月13日、大黒屋光太夫32歳の時、紀州の蔵米500石などを積み、伊勢の白子港から江戸に向けて一本柱の弁財船で17名で出港するも、遠州灘付近で漂流、
伊勢白子→漂流7ヶ月アムチトカ島へ→カムチャッカ半島に滞在約4年→オホーツク→ヤクーツク→イルクーツク→モスクワ→サンクトペテルブルク
17人の仲間は、途中で次々に倒れ、現地人と結婚したもの、怪我によりロシアに残るものなど、日本に帰国できたのは2名 波瀾万丈な人生であった。
ペテルブルクへ向かう光太夫大黒屋光太夫記念館、資料より
当時のロシアのお茶は、中国からの貴重品、
光太夫はどんな思いで口にしたのだろうか?
ロモノーソフのインペリアポーセリン
ポット、カップ


ロシアの食器といえば、エカテリーナ2世が、1773年英国ウエッジ・ウッドに発注した、フロッグサービスが有名
それ以前の1744年、エカテリーナ2世の姑である、エリザベータ女帝の庇護を受け、ロモノーソフはロシア皇帝専門陶磁器工房としてサンクトペテルブルクに開窯
創立250年を記念して 1996年世界に向けて門戸を開く
ティータイムブリヌイ(ロシア風パンケーキ)3種のベリーソース
プルーンとイチジクのビスケット
ロシアンボール
各自にサモワールからお湯を注いで好みの濃さにして
ティータイムを楽しみました。
2021年度 「鎌倉で紅茶を楽しむ会 前期」
3月6日「ビートン夫人に学ぶ」より始まります
第1回 3月6日(土)キャンセル待ち
第2回 3月12日(金)お席がございます
2021年は女性たちにスポットをあてて・・・紅茶の奥深い世界をのぞいて見ましょう
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